東京高等裁判所 平成11年(行ケ)135号 判決 2000年6月12日
原告
株式会社日平トヤマ
代表者代表取締役
【A】
訴訟代理人弁護士
木下洋平
被告
特許庁長官【B】
指定代理人
【C】
同
【D】
同
【E】
同
【F】
主文
原告の請求を棄却する。
訴訟費用は原告の負担とする。
事実及び理由
第1当事者の求めた判決
1 原告
特許庁が、平成9年異議第75003号事件について、平成11年3月15日にした特許異議の申立てについての決定を取り消す。
訴訟費用は被告の負担とする。
2 被告
主文と同旨
第2当事者間に争いのない事実
1 特許庁における手続の経緯
原告は、名称を「ワイヤーソー装置」とする特許第2619251号発明(昭和63年1月8日出願、平成9年3月11日設定登録、以下「本件発明」という。)の特許権者である。
【G】は平成9年10月20日に、【H】は同年12月5日に、【I】は同月9日に、【J】及び【K】は同月11日に、それぞれ本件特許につき特許異議の申立てをした。
特許庁は、上記各申立てを平成9年異議第75003号事件として審理したうえ、平成11年3月15日に「特許第2619251号の請求項1ないし2に係る特許を取り消す。」との決定をし、その謄本は同年4月21日、原告に送達された。
2 本件発明の要旨
(1) 請求項1に記載された発明(以下「第1発明」という。)の要旨
新線リールから切断用のワイヤーを供給し、このワイヤーを複数のメインローラに巻掛け、さらにこのワイヤーを巻取りリールにより巻取る過程で、一定時間の正方向とそれに続く短い一定時間の逆方向へのワイヤーの走行を繰り返しながら、上記メインローラの間で加工物をワイヤーに押し当てて切断するワイヤーソー装置において、
上記新線リールを回転駆動するモータ、上記メインローラを回転駆動するメインモータ、および上記巻取りリールを回転駆動するモータと、これらのモータをそれぞれ独立して制御する各モータ制御回路を設け、新線リールとメインローラ間およびメインローラと巻取りリール間で案内ローラを介して張設されたワイヤーの走行路中に、それぞれ1個のダンサーローラを変位自在に設け、このダンサーローラを定トルク発生器に連結し、この定トルク発生器によりダンサーローラを介してワイヤーに対して一定の張力を作用させるとともに、
新線リールとメインローラ間のダンサーローラの変位量を新線リールのモータ制御回路へのフィードバック信号とし、メインローラと巻取りリール間のダンサーローラの変位量を巻取りリールのモータ制御回路へのフイードバック信号として、メインローラ部でのワイヤーの走行速度と、新線リール部外周および巻取りリール部外周でのワイヤーの走行速度とを等しくするように上記各モータをそれぞれ制御することを特徴とするワイヤーソー装置。
(2) 請求項2に記載された発明の要旨
定トルク発生器はトルクモータからなることを特徴とする請求頃1記載のワイヤーソー装置。
3 本件決定の理由の要点
本件決定は、別添決定書写し記載のとおり、本件発明が、実願昭52-119387号(実開昭54-46090号)のマイクロフィルム(以下「刊行物1」という。)に記載された発明(以下「刊行物発明」という。)、特開昭61-100361号公報(以下「刊行物2」という。)に記載された技術事項及び周知技術に基づき、当業者が容易に発明をすることができたものであるから、本件特許は、特許法29条2項の規定に違反してなされたものであり、同法113条1項2号により取り消されるべきものであるとした。
第3原告主張の本件決定取消事由の要点
本件決定の理由中、本件発明の要旨の認定、刊行物1、2の記載を摘記した部分の認定(決定書4頁10行~6頁19行、7頁19行~12頁7行)、第1発明と刊行物発明との相違点の認定は認める。
本件決定は、刊行物1記載の技術事項を誤認して、第1発明と刊行物発明との一致点の認定を誤り(取消事由1)、さらに、刊行物2記載の技術事項を誤認して相違点についての判断を誤った(取消事由2)結果、第1発明が、刊行物発明及び刊行物2に記載された技術事項に基づき当業者が容易に発明をすることができたとの、さらに、請求項2記載の発明が、刊行物発明、刊行物2に記載された技術事項及び周知技術に基づき当業者が容易に発明をすることができたとの、いずれも誤った結論に至ったものであるから、違法として取り消されなければならない。
1 取消事由1(一致点の認定の誤り)
(1) 本件決定は、刊行物1に記載された刊行物発明が、「多溝案内ローラでの細線13の走行速度と、新線リール14部外周および巻取りリール19部外周での細線13の走行速度とを等しくする」(決定書7頁14~17行)切断装置であると認定し、これを前提として、第1発明と刊行物発明とが、「新線リールを回転駆動するモータ、・・・メインローラを回転駆動するメインモータ、および・・・巻取りリールを回転駆動するモータと、メインローラ部でのワイヤーの走行速度と、新線リール部外周および巻取りリール部外周でのワイヤーの走行速度とを等しくするように制御する」(同14頁11~16頁)点において一致すると認定した。
しかしながら、刊行物1には、多溝案内ローラでの細線13の走行速度と、新線リール14部外周及び巻取りリール19部外周での細線13の走行速度とを等しくする制御については記載されていないから、本件決定が刊行物発明を上記のように認定したことは誤りであり、したがって、これを前提とした、第1発明と刊行物発明との一致点の認定中の上記部分も誤りである。
(2) 被告は、刊行物1に、ピアノ線を使用する刊行物発明の細線13が、伸び縮みしたり、スリップしたり、たるんだりすることなく、適宜な定張力を維持しながら移動するようにさせることが記載されており、このことは、多溝案内ローラでの細線13の走行速度と、新線リール14部外周及び巻取りリール19部外周での細線13の走行速度とを等しくさせることにほかならないと主張する。
しかして、細線13が、伸びたり、断線したりすることなく、かつ、理想的にたるみなく走行する限りは、多溝案内ローラでの細線13の走行速度と、新線リール14部外周及び巻取りリール19部外周での細線13の走行速度とは、結果的に等しくなるが、刊行物1には、そのようなことを可能にする技術的構成について何も記載されていない。刊行物1には、「新線リール14には、繰出し用モータ21によって矢印a方向へ常時定トルクが、巻取りリール19には巻取り用モータ22によって矢印b方向へ常時定トルクが与えられ、細線13を常時たるみなく引張つており、移動供給される細線13は、・・・適宜な定張力が発生する。」(甲第3号証5頁3~11行)、「加工に要する適宜な定張力が維持される」(同6頁11~12行)と記載されているものの、各リールモータ21、22につき、定トルクを発生させるというだけで、その回転制御について何も記載がなく、細線に定張力を付与することは技術的に不可能である。
すなわち、ワイヤーソーに使用される直径0.2mm以下の細くて長い鋼線は、切断加工中に熱と張力等によってある程度伸びるものであるが、刊行物1の記載では、この問題に対する対処の方法が明らかでない。
また、細線13の繰出しと巻取りによって、細線を多重に巻いたリールの外径や重量は当然に変化するところ、モータのトルクは、「力×半径」で表わされるから、「トルク」が一定であるならば、リールの外径の変化に伴って、力が、したがって、細線の張力が変化するが、刊行物1には、細線の張力を検出してこれを制御する技術的手段が何も開示されていない。リールの重量の変化によって、リールを回転させるモータの負荷も大きく変動することになるが、その対処の方法も明らかではない。
さらに、刊行物発明では、細線13の「走行開始」、「走行から停止」、「停止から逆方向への走行開始」が繰り返されるが、細線13の走行開始時には、多溝案内ローラの駆動モータより、両リールモータの方を少し早く起動させる必要があり、細線13が走行から停止に至る場合には、多溝案内ローラの駆動モータより少し遅く両リールモータを停止させる必要があるところ、このような問題にどのように対応するのかについて、刊行物1には開示がない。加えて、細線13は、駆動モータによる駆動トルクとそれに抗しようとするリールモータによる制動トルクにより、大きな張力がかかった状態であるのに、刊行物発明には、張力が何らかの理由によって異常に増加したとき、それを逃す機構がない。
結局、刊行物1は、机上の空論的な思い付きを開示したものであるにすぎず、刊行物発明は実施不可能なものであり、本件決定の上記認定及び被告の主張には合理的な根拠がない。
2 取消事由2(相違点についての判断の誤り)
(1) 本件決定は、刊行物2に、「ワイヤ式切断装置における張力保持手段について、ワイヤーの走行路中に1個のダンサーローラを変位自在に設け、このダンサーローラを定トルク発生器に連結し、このトルク発生器によりダンサーローラを介してワイヤーに対して一定の張力を作用させるとともに、ダンサーローラの変位量をフィードバック信号として、ワイヤーを走行させる駆動モータを独立して制御するような技術が記載されている」(決定書13頁5~13行)と認定したうえ、刊行物発明の第1発明に対する相違点である「各モータ制御回路がこれらのモータをそれぞれ独立して制御しているかどうか不明である点、及び、第1発明のような厳密な意味ではないものの、走行路中のワイヤー(細線13)に、適宜な定張力を発生させることを意図して、新線リール14、巻取りリール19を回転駆動させる各モータ21,22によって常時定トルクを発生させて走行路中のワイヤーに対して張力を作用させるものである点」(同15頁15行~16頁3行)につき、上記技術が「刊行物2に記載されているように従来から知られている技術事項である」(同16頁14~15行)から、「一定の張力を作用させる手段として、刊行物1に記載されているような新線リール14、巻取りリール19を回転駆動させる各モータ21,22によって常時定トルクを発生させて走行路中のワイヤーに対して張力を作用させる代わりに上記従来から知られているような張力保持手段についての上記技術事項を応用して上記相違点のように構成するようなことは当業者が必要に応じて容易に想到し得た程度のものである。」と判断した。
しかしながら、本件決定の該相違点についての判断は、次のとおり、誤りである。
(2) すなわち、刊行物2に記載されたワイヤ式切断装置は、ワイヤーが往復動をせずに、1方向にのみ走行することを前提とするものであり、かつ、張設機構5の入口側及び出口側に設けられたキャプスタン12、13を境として、強張力である張設機構5側と弱張力である各リール3、4側とに、ワイヤーの張力領域を区分することを不可欠の構成とするものである。そして、各キャプスタン12、13の前後に配置したダンサーローラよって、強張力部分と弱張力部分とに区分された各張力領域ごとに所定の張力を付与し、張力変動に対処するものであるから、ダンサーローラは、各部分に1個宛て、装置全体として4個設けなければならない(ダンサロール20、23、26、28がこれに当たる。)。刊行物2に記載されたワイヤ式切断装置は、このような構成要素全体が有機的に結合して、初めて一定の技術的に意味のある発明となっているのである。本件決定が、刊行物2記載の技術事項の認定に当たって、上記のとおり、「ワイヤーの走行路中に1個のダンサーローラを変位自在に設け」ることが記載されているとしたことは、このような刊行物2記載の発明を、不当に抽象化するものであるといわざるを得ない。
これに対し、刊行物発明は、ワイヤーが往復しながら走行するものであって、ワイヤーの走行のさせ方が全く異なるものであるから、刊行物発明に刊行物2記載の技術を適用する動機付けが存在しない。のみならず、刊行物2に記載されたワイヤ式切断装置は、上記のとおり、キャプスタンをもって、ワイヤーの張力領域を強張力部分と弱張力部分とに区分することを不可欠の構成とするものであるから、この構成のうち、キャプスタンを除いた残りの部分だけを刊行物発明に適用するというような動機付けはあり得ないし、刊行物2中にこれを可能とするような記載ないし示唆も存在しない。
(3) 第1発明においては、ワイヤーの走行路中に、それぞれ1個のダンサーローラを変位自在に設けてあり、このことは、第1発明におけるダンサーローラが、切断加工に必要な強張力を発生させるものであると同時に、その変位が各リールモータへのフィードバック信号を与えるものでもあることを意味するものであって、上記(2)のような刊行物2記載の発明と、ダンサーローラの設け方が基本的に異なるものであり、技術思想として同等なものではない。
加えて、第1発明において「独立して制御されるモータ」とは、新線リールを回転駆動するモータ、メインローラを回転駆動するメインモータ及び巻取りリールを回転駆動するモータのことであるが、刊行物2には、4個のダンサーローラの変位によって、キャプスタン12、13の各駆動モータ22、25、並びに供給リール3の駆動モータ10及び巻取リール4の駆動モータ11が、それぞれ制御されることが記載されている(甲第4号証2頁右上欄17行~右下欄16行)ものの、メインローラに相当する溝ローラ6を回転駆動するモータ8はこれに含まれていないのであるから、第1発明と刊行物2記載の発明とでは「独立して制御する」駆動モータの意味が異なる。
したがって、第1発明は、刊行物1、2のいずれにも開示されていない独自の構成を備えているものであり、刊行物2記載の技術事項を刊行物発明に適用したとしても、第1発明の構成に想到し得るものではない。
そして、第1発明は、それらの構成によって、ワイヤーを高速で往復走行させることが可能となるとともに、ワイヤーの正逆走行の反転の際にも、ワイヤーに常に一定の張力を与えることができ、高能率、かつ、高精度な加工が可能になるという、引用発明1、2からは予測できない独自の作用効果を奏するものである。
なお、上記1の(2)のとおり、刊行物1は、机上の空論的な思い付きを開示したものであるにすぎず、刊行物発明は実施不可能なものであるから、この点においても、刊行物発明に刊行物2記載の技術を適用して、第1発明に想到するということはできない。
第4被告の反論の要点
本件決定の認定・判断は正当であり、原告主張の取消事由は理由がない。
1 取消事由1(一致点の認定の誤り)について
(1) 原告は、刊行物1に、多溝案内ローラでの細線13の走行速度と、新線リール14部外周及び巻取りリール19部外周での細線13の走行速度とを等しくする制御について記載されていないと主張する。
しかしながら、刊行物1には、「細線と多溝案内ローラとのスリップを防止せしめ」(甲第3号証4頁9~10行)との記載、及び「新線リール14には、繰出し用モータ21によつて矢印a方向へ常時定トルクが、巻取りリール19には巻取り用モータ22によつて矢印b方向へ常時定トルクが与えられ、細線13を常時たるみなく引張つており、移動供給される細線13は、原動ボビン15と従動ボビン17に至る間で矢印a方向のトルク力、矢印b方向のトルク力で制御された適宜な定張力が発生する」(同5頁3~11行)との記載があり、また、細線13につき、「本案の細線(ピアノ線を使用)13」(同4頁15行)との記載がある。
すなわち、刊行物1には、刊行物発明の細線13にピアノ線を使用することが記載されているが、ピアノ線は伸び縮みするものではないから、結局、刊行物1には、細線13が、伸び縮みしたり、スリップしたり、たるんだりすることなく、適宜な定張力を維持しながら移動するようにさせることが記載されているということができるところ、このことは、多溝案内ローラでの細線13の走行速度と、新線リール14部外周及び巻取りリール19部外周での細線13の走行速度とを等しくさせることにほかならない。
したがって、本件決定が、刊行物発明について、「多溝案内ローラでの細線13の走行速度と、新線リール14部外周および巻取りリール19部外周での細線13の走行速度とを等しくする」切断装置と認定したことに誤りはなく、この認定を前提とする一致点の認定にも原告主張の誤りはない。
(2) 原告は、この点につき、刊行物発明において、細線に定張力を付与することは技術的に不可能であり、刊行物1は、机上の空論的な思い付きを開示したものであるにすぎないと主張する。
しかしながら、原告の該主張は、刊行物1に、細線13に常に一定の張力が付与されている旨記載されていることを前提とするものであるが、刊行物1には、細線13の張力については「適宜な定張力」という記載しかなく、この記載は、細線13に常に一定の張力が付与されているとの意味ではない。
すなわち、刊行物1には、上記(1)の記載のほか、「以下本案の特徴である細線13の往復運動を第3図、第4図を基に説明する。第3図、0~D時間帯に於て駆動用モータ20は矢印c方向へ正回転し、細線13は矢印d方向へ定常状態で速度vで移動して、常時矢印b方向へ定トルクを発生させている巻取り用モータ22と連結している巻取りリール19に巻取られる。・・・次に第3図A~B時間帯に於て、駆動用モータ20はゆるやかな曲線でその回転速度をおとしD点では一時回転を停止し、細線13の繰出し速度もこれに追従する。次にD点から駆動用モータ20は矢印c方向とは逆にe方向へ回転を始め、その速度はゆるやかに増加しB点に於ては定常状態となり細線13を矢印d方向とは逆のf方向へ、上記と同様速度vで巻戻し移動させる。この為細線13は上記とは逆に巻取りリール19から繰出され、新線リール14に巻取られる。」(甲第3号証5頁17行~7頁4行)との記載、及び「以上の往復運動により、細線13には急激な高速往復運動による運動方向転換時のショックが作用しないので、断線が防止できる。またボビン15,16,17にも急激な正逆回転が作用せず、細線13とボビン15,16,17との間にはスリップの極めて少ない追従性の良い正逆回転が可能で、ボビン15,16,17の溝摩耗を低減することができる。・・・更に前述した往復運動転換時のゆるやかな減速、増速によって細線13には、たるみや過剰な張力の発生を防止でき、シーソー・リンクを廃し簡単な構造となる。」(同8頁14行~9頁10行)との記載があり、これらの記載によれば、刊行物発明においては、新線リール14及び巻取りリール19に、それぞれ、繰出し用モータ21及び巻取り用モータ22によって、相互に反対方向の常時定トルクを付与するとともに、多溝案内ローラ(原動ボビン)15に連結された駆動用モータ20を往復運動の方向転換時にゆるやかに減速、増速するという構成を備えたことにより、細線のたるみや、過剰な張力の吸収手段であるシーソー・リンクを廃しても、細線13の繰出し速度が追従し、細線13とボビン15,16,17との間のスリップを防止し、細線13のたるみや、過剰な張力の発生を防止するものであると認められ、細線13に常に一定の張力が付与されているとするものではない。そして、モータの加速、減速の制御は、各種形式のものが周知であるから、上記のような刊行物発明が実施可能であることは明らかである。
したがって、刊行物1は、単に机上の空論的な思い付きを開示しただけのものではなく、原告の上記主張は、前提を誤った意味のないものである。
2 取消事由2(相違点についての判断の誤り)について
(1) 原告は、刊行物2に記載されたワイヤ式切断装置について、構成要素全体が有機的に結合して、初めて一定の技術的に意味のある発明となっているとしたうえ、刊行物2に記載されたワイヤ式切断装置のワイヤーが1方向にのみ走行するものであるから、ワイヤーが往復しながら走行する刊行物発明に、刊行物2に記載された技術を適用するという動機付けが存在しないと主張し、さらに、刊行物2記載の発明は、キャプスタンをもって、ワイヤーの張力領域を強張力部分と弱張力部分とに区分することを不可欠の構成とするものであるから、その構成のうち、キャプスタンを除いた残りの部分だけを刊行物発明に適用する動機付けはあり得ないとも主張する。
しかしながら、特許公報等の刊行物には、多くの場合、種々の技術思想が開示されており、必要に応じてそれらの各技術思想を参考にすることは、当業者が通常行うことであって、本件決定も、この視点に基づいて、刊行物2に記載された技術思想を認定したものである。
そして、刊行物発明と刊行物2に記載された発明とは、ワイヤーソーの駆動方式が異なるとはいえ、ワイヤーソー装置としては共通のものであり、また、刊行物2記載の技術のうち、キャプスタンを用いる場合に特定されることのない張力保持手段に関する技術を刊行物発明に適用するものであるから、その適用の動機付けは十分存在する。
(2) また、原告は、第1発明につき、刊行物2記載の発明と、ダンサーローラの設け方が基本的に異なるものであり、技術思想として同等なものではないと主張するが、本件決定は、刊行物2記載のうち、「必要とされる張力はダンサロールを用いた張力保持手段により付与する」こと及び「ダンサロールを一定位置に維持するように、関連する駆動モータを独立して制御する」ことという技術思想を刊行物発明に適用するものである。
さらに、原告は、第1発明において「独立して制御されるモータ」が、新線リールを回転駆動するモータ、メインローラを回転駆動するメインモータ及び巻取りリールを回転駆動するモータのことであるのに対し、刊行物2においては、ダンサーローラの変位によって、キャプスタン12、13の各駆動モータ、並びに供給リール3の駆動モータ及び巻取リール4の駆動モータがそれぞれ制御されることが記載されているが、メインローラに相当する溝ローラ6を回転駆動するモータが含まれていないのであるから、第1発明と刊行物2記載の発明とでは「独立して制御する」駆動モータの意味が異なると主張する。
しかしながら、第1発明においても、独立して制御される3個のモータのうち、ダンサーローラの変位量をフィードバック信号として制御されるのは、新線リールを回転駆動するモータと巻取りリールを回転駆動するモータであって、メインローラを回転駆動するメインモータは、ダンサーローラの変位量をフィードバック信号として制御されるものではないから、原告の主張は誤りである。
したがって、本件決定が、刊行物2に、「ワイヤ式切断装置における張力保持手段について、ワイヤーの走行路中に1個のダンサーローラを変位自在に設け、このダンサーローラを定トルク発生器に連結し、このトルク発生器によりダンサーローラを介してワイヤーに対して一定の張力を作用させるとともに、ダンサーローラの変位量をフィードバック信号として、ワイヤーを走行させる駆動モータを独立して制御するような技術が記載されている」と認定したこと、これを前提として、刊行物発明の第1発明に対する相違点につき、「一定の張力を作用させる手段として、刊行物1に記載されているような新線リール14、巻取りリール19を回転駆動させる各モータ21,22によって常時定トルクを発生させて走行路中のワイヤーに対して張力を作用させる代わりに上記従来から知られているような張力保持手段についての上記技術事項を応用して上記相違点のように構成するようなことは当業者が必要に応じて容易に想到し得た程度のものである。」と判断したことに、原告主張の誤りはない。
第5当裁判所の判断
1 取消事由1(一致点の認定の誤り)について
(1) 原告は、刊行物1に、多溝案内ローラでの細線13の走行速度と、新線リール14部外周及び巻取りリール19部外周での細線13の走行速度とを等しくする制御については記載されていないと主張するところ、確かに、刊行物1(甲第3号証)に、その点について直接的に記載した部分は見当たらない。
しかしながら、刊行物1に、「新線リール14には、繰出し用モータ21によって矢印a方向へ常時定トルクが、巻取りリール19には巻取り用モータ22によつて矢印b方向へ常時定トルクが与えられ、細線13を常時たるみなく引張つており、移動供給される細線13は、原動ボビン15と従動ボビン17に至る間で矢印a方向のトルク力、矢印b方向のトルク力で制御された適宜な定張力が発生する。」(決定書5頁15行~6頁2行)との記載があることは当事者間に争いがなく、刊行物1(甲第3号証)には、さらに、「本案の目的は、細線の高速往復運動を、可逆転可変速モータの正逆回転を時間あるいは回転数制御方式による、ゆるやかな減速・増速と定常状態での高速度長時間維持を有する特殊な往復運動により細線の断線防止、細線と多溝案内ローラとのスリップを低減せしめ・・・る装置を提供することにある。本案は、可逆転可変速モータの正逆回転を、時間あるいは回転数制御方式によりおこない、細線を巻取り方向へ定常の高速度で設定時間移動させた後、ゆるやかに減速、一時移動を停止させ、再びゆるやかに逆方向へ移動、減速し定常状態で前者と同一の高速度で移動させた後、再びゆるやかに減速し一時停止させる。以上を一周期として前者の細線の移動時間を、後者の逆方向移動時間より長くして、この時間差分に相当する新線を供給、巻取ると同時に、運動方向転換時のショックを抑制し細線の断線防止及び細線と多溝案内ローラとのスリップを防止せしめ、」(同号証3頁10行~4頁10行)、「第3図に本案の細線(ピアノ線を使用)13の往復運動曲線図を・・・示す。」(同4頁15~16行)との各記載がある。
刊行物1のこれらの記載によれば、刊行物発明は、細線13の正方向への移動と逆方向への移動を、正方向への移動時間を逆方向への移動時間より長くして、周期的に繰り返しながら、徐々に細線13を供給側から巻取り側に移動させるものであり、正・逆方向への移動及び移動方向転換の際に、ゆるやかに加速、減速、一時停止することにより、細線の破断を防止し、細線と多溝案内ローラとのスリップを低減するものであることが認められ、また、細線13は、ピアノ線を使用したものであって、定トルクが与えられた新線リール14及び巻取りリール19によって、常時たるみなく引張られ、原動ボビン15と従動ボビン17との間で「適宜な定張力」が発生するものであることが認められる。
そして、ピアノ線が炭素等を含む高度の引張り強さを有する鋼線であって、ゴム紐のように伸縮するものでないことは技術常識であるから、新線リール14及び巻取りリール19によって、常時たるみなく引張られる細線13が、前示のように、周期的な正・逆方向の移動を繰り返しながら、新線側から巻取り側に移動して行く場合、連続するピアノ線である細線13の移動速度は、新線リール部外周から多溝案内ローラを経て、巻取りリール部外周に至るまでのどの位置でも等しくなるものと認められる。
(2) 原告は、細線13が、伸びたり、断線したりすることなく、かつ、理想的にたるみなく走行する限りは、多溝案内ローラでの細線13の走行速度と、新線リール14部外周及び巻取りリール19部外周での細線13の走行速度とが等しくなることを認めつつ、刊行物1には、各リールモータ21、22につき、定トルクを発生させるというだけで、その回転制御について記載がなく、細線に「定張力」を付与することは技術的に不可能であると主張し、具体的には、直径0.2mm以下の細線が切断加工中に熱と張力等によってある程度伸びることについての対処法、細線の繰出しと巻取りによるリールの外径や重量の変化に伴う張力の変化やリールを回転させるモータの負荷の変動に対する対処法、移動方向転換の際の、走行停止及び走行開始に当たって、多溝案内ローラの駆動モータと、両リールモータの停止・起動に時間差を設ける必要があることに対する対処法が、いずれも明らかではなく、さらに、張力が異常に増加したときに逃がす機構が欠如していると主張する。
しかしながら、前示のとおり、刊行物発明は、細線13の正・逆方向への移動及び移動方向転換の際に、ゆるやかに加速、減速、一時停止することによって、細線の破断や、細線と多溝案内ローラとのスリップを防止、低減するものであることが認められ、そうであれば、刊行物発明において、該効果を奏するために細線の張力が、終始一定でなければならない技術的な必要性は認められず、細線13の張力に係る前示「新線リール14には、・・・矢印a方向へ常時定トルクが、巻取りリール19には・・・矢印b方向へ常時定トルクが与えられ、細線13を常時たるみなく引張つており、移動供給される細線13は、原動ボビン15と従動ボビン17に至る間で矢印a方向のトルク力、矢印b方向のトルク力で制御された適宜な定張力が発生する」との刊行物1の記載に鑑みても、その「適宜な定張力が発生する」との文言が、細線13に終始一定の張力がかかるとの趣旨であるとは解し難い。そして、細線の張力が終始一定でなければ、多溝案内ローラでの細線の走行速度と、新線リール部外周及び巻取りリール部外周での細線の走行速度とが等しくならないというわけではないことも明らかである。
しかして、刊行物発明の細線13はピアノ線(鋼線)であるから、熱と張力とによって、若干の伸びが生じることは技術常識である。しかし、熱に関しては、切断位置(加工部、ボビン15・17間)において、摩擦により常に発生するものの、刊行物1には、加工部にノズル25から砥粒を含むラップ液26が供給されることが記載されており(甲第3号証5頁11~17行)、細線は、切断位置において該ラップ液及びそれに含まれる砥粒により冷却されること、また、切断位置を通過した細線は、前示のとおり、正方向への移動と逆方向への移動とを周期的に繰り返しながら、徐々に巻取りリール側に移動して行くが、その間に放熱すること等に照らし、熱による細線の伸びの程度は僅少であると考えられる。そうすると、細線が切断加工中に熱と張力等によってある程度伸びることによって、細線の張力に影響を与えることがあり得るとしても、多溝案内ローラ、新線リール部外周及び巻取りリール部外周での細線の等速性を損なうに至らない程度のものと認められる。
次に、細線の繰出しと巻取りにより、新線リール側及び巻取りリール側双方で、細線を多重に巻いたリールの全重量が変化し、また、リールに巻かれた細線の外径に変化が生じることは明らかである。しかし、それらの変化が、細線の張力にどの程度の影響ないし変化を生じさせるかは、リールの直径や厚さ等の外形及び材料の密度、細線の径とこれを繰り出し、又は巻き取る長さ、細線の巻き方、モータの出力等、種々の条件に依存するものであることは、技術常識上明白であり、したがって、それらの諸条件を適宜設定して、細線の張力の変化を、多溝案内ローラ、新線リール部外周及び巻取りリール部外周での細線の等速性を損なわない程度にすることは、当業者であれば格別の困難を伴わないでなし得る設計事項にすぎないものと認められる。
さらに、原告の主張する、細線13の走行開始時に、多溝案内ローラの駆動モータより両リールモータの方を少し早く起動させ、細線13が走行から停止に至る場合には、多溝案内ローラの駆動モータより少し遅く両リールモータを停止させる必要があることは、本件明細書(甲第2号証)にも開示がなく、前示のとおり、「新線リール14には、繰出し用モータ21によって矢印a方向へ常時定トルクが、巻取りリール19には巻取り用モータ22によつて矢印b方向へ常時定トルクが与えられ」ている刊行物発明において、かかる技術事項を備えなければ、その実施ができないものとは認め難い。また、原告の主張する、刊行物発明において、張力が何らかの理由によって異常に増加したときとは、具体的にどのような場合をいうのかが明瞭ではなく、さらに、当業者は、技術常識に基づいて、モータのトルクを適宜設定する等、細線の張力の異常な増加を予防し、あるいは、細線及び関連部材の強度を適宜設定する等、細線の張力の異常な増加に対処するための様々な手段を取り得るものであるところ、これらの手段に代えて、あるいはこれらの手段に加えて、原告のいう張力を逃がす機構を備えなければ、刊行物発明の実施ができないものとも認め難い。
以上のように、原告主張の各事由は、刊行物発明において、周期的な正・逆方向の移動を繰り返しながら、新線側から巻取り側に移動して行く細線13の移動速度が、新線リール部外周から多溝案内ローラを経て、巻取りリール部外周に至るまでのどの位置でも等しくなるとの前示認定を左右するに足りるものということはできない。
また、原告は、刊行物1に、当該各事由に対する対処法あるいは機構について記載がないことを理由として、刊行物1は、机上の空論的な思い付きを開示したものであるにすぎず、刊行物発明は実施不可能なものであるとも主張するが、前示したことから、該主張が失当であることも明らかである。
(3) したがって、本件決定が、刊行物1に記載された刊行物発明が「多溝案内ローラでの細線13の走行速度と、新線リール14部外周および巻取りリール19部外周での細線13の走行速度とを等しくする」(決定書7頁14~17行)切断装置であると認定し、これを前提として、第1発明と刊行物発明とが、「新線リールを回転駆動するモータ、・・・メインローラを回転駆動するメインモータ、および・・・巻取りリールを回転駆動するモータと、メインローラ部でのワイヤーの走行速度と、新線リール部外周および巻取りリール部外周でのワイヤーの走行速度とを等しくするように制御する」(同14頁11~16頁)点において一致するとした認定に誤りはない。
2 取消事由2(相違点についての判断の誤り)について
(1) 刊行物2に、「本発明は、高硬度脆性材料例えば半導体材料磁性材料、セラミックス等をワイヤにて切断(切込みを含む)するワイヤ式切断装置に関する。」(決定書7頁20行~8頁3行)、「第1図はこの発明の基本概念を示す。ワイヤ式切断装置1は、切断用ワイヤ2を巻回する供給リール3と巻取リール4並びに被切断部材Wにワイヤ2を対向して張設する張設機構5とを備える。張設機構5は第2図に示す如く複数個例えば4個の溝ローラ・・・を上下左右にそれぞれ平行に配備し、ワイヤ2を各溝ローラ・・・の溝・・・に巻きつけ、ワイヤ2を被切断部材Wに対し所定間隔を存して多数平行に張設し、溝ローラ・・・には駆動モータ8が連結されている。」(同8頁5~14行)、「上記供給リール3及び巻取リール4にはそれぞれ駆動モータ10,11を備え、ワイヤ2を矢符A方向または反対方向に高速にて走行せしめ、常に所要の切断速度を有せしめる。更に本発明は張設機構5の少なくとも入口側好ましくは両側にキャプスタン12,13を配し、張設機構5と、供給リール3よりの繰出し部14と、巻取リール4に対する巻取部15のそれぞれには、ワイヤ2を所要張力に保持せしめる張力保持手段16,17,18,19を設けてなるものである。」(同8頁15行~9頁4行)、「上記張力保持手段16~17としては、例えばダンサロールを利用し、このダンサロールの荷重によりワイヤ2に所要張力を付与すると共に、キャプスタン12,13により張力付与部分を区分するもので、張力保持手段16は張設機構5の入口側とキャプスタン12との間に配備されるダンサロール20と、このダンサロール20の昇降を検出するポテンシヨメータ等の昇降位置検出器21及びこの検出器21の出力信号により回転速度が制御されるキャプスタン駆動モータ22とよりなる。」(同9頁4~14行、ただし、刊行物2(甲第4号証)2頁右上欄17行と対比して、「上記張力保持手段16~17」は「上記張力保持手段16~19」の誤記と認められる。)、「これにより繰出部14は、ワイヤ2を弛ませない程度の弱張力を保持せしめ、張設機構5においては上記張力とは異なる切断に適する高張力を保持せしめ、巻取部15は巻取リール4に対しワイヤ2を弛むことなく確実に巻きつけるための弱張力を保持せしめ、しかもワイヤ2を高速にて走行させる。」(決定書9頁14~20行)、「ダンサロール20はレバー90の適所に取り付けられ、レバー90は支点91を中心に回動され、適所に荷重92が取り付けられ、かつ前記昇降位置検出器21に連繋される。」(同10頁18行~11頁1行)との各記載があることは当事者間に争いがなく、また、刊行物2に記載された「張力保持手段16,17,18,19の荷重92,94,96,98が取り付けられたレバー90,93,95,97は、それぞれが定トルク発生器といえるものであり、各駆動モータ22,25,10,11はそれらに対応した昇降位置検出器21,24,27,29の出力信号によりダンサロール20,23,26,28が常に一定位置にあるようにそれぞれ独立して制御されるもの」(同12頁10~17行)であること、及び「何れの張力保持手段16,17,18,19もワイヤ2に一定の張力を保持させる点では変わるところはな」い(同13頁2~4行)ことも、当事者間に争いがない。
さらに、刊行物2(甲第4号証)には、「従来、例えば半導体電子材料のインゴツトをウエハー状に切断する手段の一つとしてワイヤを利用するワイヤ式切断機がある。この切断機は8個もしくはそれ以上のローラにワイヤを多数回所定間隔を存して巻きつけ、これに被切断部材を押しつけ、砥粒を含む切削液を注ぎつゝ往復移行せしめ、いわゆるラツピング作用にて切断する方法が採られている・・・しかしこの方式によるときは切削速度が絶えず変化し、往復行両端においては切削速度が0となる。またワイヤの引張り力は往復の都度引張り方向が変わるため変動し、切断面にはいわゆるソーマークを生じ易く、かつ切断面両側には『だれ』を生ずる等の問題点がある。本発明はかかる点に鑑み、切断能率の向上と共に切断条件を常に一定ならしめることにより平滑な切断面を得るワイヤ式切断装置を提供することを目的とする。」(同号証1頁右下欄12行~2頁左上欄10行)、「ワイヤ2は巻取りリール4に巻取られ、供給リール3のワイヤが空となつたときは、新規の供給リールと取替えてもよいが、ワイヤ2を反転して逆方向に走行させることが好ましい。」(同2頁右下欄17~20行)との記載があり、また、前示争いのない「上記張力保持手段・・・張力保持手段16は張設機構5の入口側とキャプスタン12との間に配備されるダンサロール20と、このダンサロール20の昇降を検出するポテンシヨメータ等の昇降位置検出器21及びこの検出器21の出力信号により回転速度が制御されるキャプスタン駆動モータ22とよりなる。」(決定書9頁4~14行)との記載に引き続いて、「同様に張力保持手段17は張設機構5の出口側に設けられるダンサロール23と、その昇降位置検出器24及びキャプスタン駆動モータ25とよりなる。また張力保持手段18は繰出部14に設けられるダンサロール26と、その昇降位置検出器27及び供給リール駆動モータ10とよりなる。更に張力保持手段19は巻取部15に設けられるダンサロール28と、その昇降位置検出器29及び巻取リール駆動モータ11とよりなる。」(甲第4号証2頁左下欄8~17行)との記載があり、前示争いのない「これにより・・・しかもワイヤ2を高速にて走行させる。」(決定書9頁14~20行)との記載の前に、「張設機構5におけるワイヤ2の張力は張力保持手段16におけるダンサロール20に加えられる荷重により決定され、ダンサロール20は張設機構5によるワイヤ牽引速度とキャプスタン12よりの繰出し速度との差により昇降され、その位置は昇降位置検出器21により検知され、ダンサロール20を所定位置に保持すべくキャプスタン駆動モータ25の回動速度を選択せしめる。他の繰出部14における張力保持手段18、巻取部15における張力保持手段19も同様である。」(甲第4号証2頁左下欄19行~右下欄9行、ただし、前示争いのない「上記張力保持手段・・・このダンサロール20の昇降を検出するポテンシヨメータ等の昇降位置検出器21及びこの検出器21の出力信号により回転速度が制御されるキャプスタン駆動モータ22とよりなる。」(決定書9頁4~14行)との記載に照らして、「キャプスタン駆動モータ25の回動速度」とあるのは、「キャプスタン駆動モータ22の回動速度」の誤記と認められる。)との記載がある。
(2) 前示(1)の刊行物2の記載事項及び第1図(甲第4号証添付)の表示によれば、刊行物2には、ワイヤ式切断装置に関し、例えば、キャプスタン12と張設機構5との間に設けられた張力保持手段16についていえば、ダンサロール20の昇降を検出する昇降位置検出器21の出力信号をフィードバックして、キャプスタン12の駆動モータ22の回転数を操作する独立した制御方法が開示されており、該ダンサロール20は、定トルク発生器ということのできる荷重92が取り付けられたレバー90に取り付けてあり、張設機構5におけるワイヤ2の張力が、ダンサロール20に加えられる荷重により決定されるのであるから、本件決定が、「刊行物2には、ワイヤ式切断装置における張力保持手段について、ワイヤーの走行路中に1個のダンサーローラを変位自在に設け、このダンサーローラを定トルク発生器に連結し、このトルク発生器によりダンサーローラを介してワイヤーに対して一定の張力を作用させるとともに、ダンサーローラの変位量をフィードバック信号として、ワイヤーを走行させる駆動モータを独立して制御するような技術が記載されている」(決定書13頁4~13行)と認定したことに、何ら誤りはない。
そうすると、刊行物発明における、定トルクが与えられた新線リール14及び巻取りリール19によって、細線(ワイヤー)を常時たるみなく引張って一定の張力を及ぼす手段に代えて、刊行物2に記載された前示技術を刊行物発明に適用し、第1発明の相違点に係る構成、すなわち、「これらのモータ(注、新線リールを回転駆動するモータ、メインローラを回転駆動するメインモータ、巻取りリールを回転駆動するモータ)をそれぞれ独立して制御する各モータ制御回路を設け、新線リールとメインローラ間およびメインローラと巻取りリール間で案内ローラを介して張設されたワイヤーの走行路中に、それぞれ1個のダンサーローラを変位自在に設け、このダンサーローラを定トルク発生器に連結し、このトルク発生器によりダンサーローラを介してワイヤーに対して一定の張力を作用させるとともに、新線リールとメインローラ間のダンサーローラの変位量を新線リールのモータ制御回路へのフィードバック信号とし、メインローラと巻取りリール間のダンサーローラの変位量を巻取りリールのモータ制御回路へのフイードバック信号として、上記各モータをそれぞれ制御する」構成とすることは、当業者が容易に想到し得るものと認められる。
(3) もっとも、前示(1)の刊行物2の記載によれば、刊行物2記載のワイヤ式切断装置は、ワイヤーが往復しながら走行するものではなく、また、供給リール3からキャプスタン12までの間(繰出部14)、及びキャプスタン13から巻取リール4までの間(巻取部15)は、それぞれ張力保持手段18、同19により、ワイヤーをたるませない程度の弱張力が付与され、キャプスタン12から同13までの間(張設機構5を含む部分)は、張力保持手段16、17により、切断に適する強張力が付与されるものであることが認められる。
しかるところ、原告は、刊行物2に記載されたワイヤ式切断装置は、そのような構成要素全体が有機的に結合して、初めて一定の技術的に意味のある発明となっているから、本件決定が、刊行物2記載の技術事項の認定に当たって、「ワイヤーの走行路中に1個のダンサーローラを変位自在に設け」ることが記載されているとしたことは、刊行物2記載の発明を不当に抽象化するものであると主張し、さらに、細線(ワイヤー)が往復しながら走行する刊行物発明に、ワイヤーが1方向にのみ走行する刊行物2記載の技術を適用する動機付けが存在せず、また、キャプスタンをもって、ワイヤーの張力領域を強張力部分と弱張力部分とに区分することを不可欠とする刊行物2記載のワイヤ式切断装置の構成のうち、キャプスタンを除いた残りの部分だけを刊行物発明に適用するというような動機付けはあり得ないとも主張する。
しかしながら、刊行物発明は、「水晶、セラミック、半導体結晶等の脆性材料からなる試料を、直線往復運動する多数の細線に押圧し、これに遊離砥粒を介在させラッピング切断する装置」(刊行物1(甲第3号証)実用新案登録請求の範囲)であり、他方、前示(1)のとおり、刊行物2には、「本発明は、高硬度脆性材料例えば半導体材料磁性材料、セラミックス等をワイヤにて切断(切込みを含む)するワイヤ式切断装置に関する。」との記載があるから、刊行物発明と刊行物2記載のワイヤ式切断装置とが、ともにワイヤーソーとして、共通の技術分野に属するものであることは明らかである。
そして、前示(1)のとおり、刊行物2に「ワイヤ2は巻取りリール4に巻取られ、供給リール3のワイヤが空となつたときは、新規の供給リールと取替えてもよいが、ワイヤ2を反転して逆方向に走行させることが好ましい。」との記載があることに照らして、刊行物2記載のワイヤ式切断装置は、ワイヤーを反対方向に走行させることも予定されていることが認められるのであるから、刊行物2記載の技術事項を刊行物発明に適用することを妨げるような技術的理由は、特段想定されないというべきであり、刊行物2のワイヤ式切断装置に関し、ワイヤーが往復しながら走行するものではないことの一事をもって、その適用の動機付けがないということはできない。
また、前示(1)の刊行物2の記載事項によれば、刊行物2記載のワイヤ式切断装置においては、張力保持手段16、17、18、19のそれぞれに、順次対応したダンサロール20、23、26、28がいずれも変位自在に設けられ、ワイヤーに一定の張力を作用させるとともに、その各ダンサロールのそれぞれの変位量をフィードバック信号として、各ダンサロールに順次対応したワイヤー走行のための駆動モータ22、25、10、11の回転速度がそれぞれ独立して制御されていること、すなわち、1組の張力保持手段に属するダンサーローラの変位や、その変位量のフィードバック機構は、当該張力保持手段に属する駆動モータの回転速度の制御に関与するものの、他の張力保持手段に属するモータの回転速度の制御には関与しないことが認められ、そうであれば、これらの張力保持手段は、そのそれぞれが、それ自体として独立し、完結した構成とワイヤーの所定張力の維持という作用効果を有するものであるということができる。
他方、刊行物発明において、ワイヤーに所定張力を付与する技術課題があることは、刊行物1の前示「原動ボビン15と従動ボビン17に至る間で矢印a方向のトルク力、矢印b方向のトルク力で制御された適宜な定張力が発生する」との記載などから明白であるから、当業者において、刊行物2に開示された、前示のようなモータの回転速度の制御手段からなる独立・完結した張力保持手段それ自体を取り上げて、これを刊行物発明に適用することを妨げるような技術的理由は、特段想定されないというべきである。
したがって、本件決定が、刊行物2記載の技術事項の認定に当たって、「ワイヤーの走行路中に1個のダンサーローラを変位自在に設け」ることが記載されているとしたことは、刊行物2記載の発明を不当に抽象化するものであるとか、刊行物2記載のワイヤ式切断装置の構成のうち、キャプスタンを除いた残りの部分だけを刊行物発明に適用する動機付けがない等とする原告の主張は採用することができない。
(4) 原告は、第1発明と刊行物2記載の発明とで、ダンサーローラの設け方が基本的に異なるものであり、技術思想として同等なものではないと主張するが、この主張が失当であることは、前示(3)において説示したところから明らかである。
また、相違点に係る第1発明の「これらのモータをそれぞれ独立して制御する各モータ制御回路を設け、」との構成中の「これらのモータ」が、新線リールを回転駆動するモータ、メインローラを回転駆動するメインモータ、巻取りリールを回転駆動するモータを指すことは、第1発明の要旨に照らして明らかであるところ、原告は、刊行物2の記載では、メインローラに相当する溝ローラ6を回転駆動するモータ8が独立して制御されるモータに含まれていないのであるから、第1発明と刊行物2記載の発明とでは「独立して制御する」駆動モータの意味が異なると主張する。
しかして、刊行物2(甲第4号証)には、確かに、溝ローラ6を回転駆動するモータ8の制御に関しては記載がないが、前示(3)のとおり、刊行物2には、ワイヤー走行のための駆動モータ22(キャプスタン12の駆動モータ)、同25(キャプスタン13の駆動モータ)、同10(供給リール3の駆動モータ)、同11(巻取リール4の駆動モータ)の回転速度がそれぞれ独立して制御されることが開示されている。他方、刊行物1に「本案は、可逆転可変速モータの正逆回転を、時間あるいは回転数制御方式によりおこない、」との記載があることは前示1の(1)のとおりであるところ、この記載によれば、該「可逆転可変速モータ」は正逆回転を制御されるものであることが認められ、かつ、これが第1発明の「メインローラを回転駆動するメインモータ」に相当するものであることが明らかである。そうすると、刊行物発明に、刊行物2に開示された独立して制御されるモータを含む張力保持手段を適用した場合においては、前示「可逆転可変速モータ」がメインモータに相当する駆動モータとなるに至り、かつ、その制御が、刊行物2に由来する張力保持手段の制御から独立してなされること、すなわち、独立して制御する駆動モータの一つとなることも明白である。
したがって、原告の該主張も理由がないといわざるを得ず、そうすると、第1発明が、刊行物1、2のいずれにも開示されていない独自の構成を備えているとの主張も失当である。
また、第1発明の作用効果として原告の主張する、ワイヤーを高速で往復走行させることが可能となり、ワイヤーの正逆走行の反転の際に、ワイヤーに常に一定の張力を与えることができるため、高能率・高精度の加工が可能になるという点は、刊行物1、2の記載から容易に予測されるところである。
なお、原告は、刊行物1が、机上の空論的な思い付きを開示したもので、刊行物発明は実施不可能なものであるから、刊行物発明に刊行物2記載の技術を適用して、第1発明に想到するということはできないと主張するが、該主張の前提である、刊行物1が、机上の空論的な思い付きを開示したもので、刊行物発明が実施不可能なものであることを認め難いことは、前示1の(2)のとおりである。
(5) したがって、本件決定の相違点についての判断に原告主張の誤りはない。
3 以上のとおりであるから、原告主張の本件決定取消事由は理由がなく、その他本件決定にはこれを取り消すべき瑕疵は見当たらない。
よって、原告の請求を棄却することとし、訴訟費用の負担につき行政事件訴訟法7条、民事訴訟法61条を適用して、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 田中康久 裁判官 石原直樹 裁判官 長沢幸男)